才能

才能

私はこれといって人より優れたところはありません。芸能人なんかみると、「神は2物も3物も与えるんだなぁ」と感じてしまいます。絵がうまい人。歌がうまい人。ダンスがうまい人。何かのスポーツに長けてる人。言い出したらキリがありません。これら「才能」と呼ばれるものついて共通点があります。それは「他者が認めている」ことです。

才能があるかないか。本音を言えばない人なんていないのだと思います。みんな何かしら能力があります。あるいはいくつもの能力を備えて生まれてきていますし成長しています。それらが「才能」と呼ばれるためにはその時代に合ったものでなければなりません。だから画家なんかはその画家がなくなってから評価されることがあります。作家だってそうです。

生きていた当時に才能がなかったわけではありません。埋もれていたわけでもありません。ただ周りがそれを「才能」と思われなかっただけです。

才能って自分で決めるものではなくあくまで周り決めるものなんです。だからその時代にあってるかどうか。それだけです。でも人気があるって大事なことです。自分を周りに認めてもらう。自分のこと、自分が作ったものをより多くの人に知ってもらう。もし自分がそうなったら嬉しい限りです。人気をとれば色んなスポンサーがつきます。支援者も現れます。その分また人気を取らなければいけません。段々重要なポイントが「いかに売れるか」「何が国民にウケるか」そういうものに移行していってしまいます。結果的にその時だけに焦点を合わせてしまうことになります。

それは後から見たときにその時代を象徴するものとして見ることができますが、歴史を作っていくものはそれだけではいけないと思います。ある映画監督がインタビュアーから「ヒット」について質問されていました。その映画監督は、ヒットするかしないかはそんなに重要じゃないと答えてました。え、そうなの?もちろんヒットするに越したことはないけれど、映像は後の世代に残るものだから今の時点だけで見てるわけじゃないみたいなことを言っていました。

今の時代の作品は「消費されるもの」といわれています。音楽もファッションもお笑いも。その時代では消費されたとしても作品自体は後世に残ります。時代を超えても見れるものを作りたい。時代を超えてもみたいと思えるもの、わかってもらうもの、時代を超えて共感を得るものを創っていくのが、作品をつくる醍醐味なのかもしれません。クラシック音楽やシェイクスピアの演劇のように、私も人生の中で後世に何かを残していきたいなぁと思いました。

新しいSNSの台頭

ソーシャルネットワークについては度々取り上げていますが、

その流行の陰りと多発する問題により、勢いはやや衰えを見せています。

ですがこうしたタイミングは同時に工夫を凝らそうとする所も増えるので、

転換期の訪れとも言えます。

特にSNSにおいて問題視されているのは広がりやすい人間関係です。

広がりやすい繋がりやすいというのは利点でもありましたが、

処理しきれない人間関係は時として大きなトラブルを起こします。

特に現実において交流があるならともかく、

インターネット上での繋がりに依存しすぎてしまう人は、

そうした音沙汰に敏感です。

少々聞こえの悪い言い方をするなら付き合いが面倒に感じる事もあるのではないでしょうか。

そしてその問題を取り上げて工夫を凝らしたSNSが一部で注目されています。

それは少人数に向けられたSNSです。

一見して今までのSNSと何が違うのか分かりにくいですが、

インターフェースや仕組みを見ていると、その特異性が良く分かります。

まずそうした少人数に向けたSNSは、友達になれる人数に大きく制限があります。

中には一定期間交流が無いと自動的に友人解除するシステムも搭載されており、

自然的に交流相手を絞り込むシステムになっています。

それは一見して不便に見られがちですが、

他のSNSにおいて200人などたくさんの友人が居たとしても、

毎日、或いは定期的に交流がある人はどれくらいでしょうか。

そこに着目して絞り込まれたSNSは、密かでありながら深いお付き合いにも向いています。

また横の広がりを抑える事により、余計な拡散が苦手な人にも向いていそうです。

中には完全に二人向けとされているパートナー用があり、

そうしたSNSは特にお互いのみの繋がりを大切にしていると言えます。

手軽に繋がるという時代は見直され、大切な人とだけ繋がるという時代になってますね。

一方で、複数のSNSに登録して使い分けている人がいるのも多いです。

そうした方はプライベートを細かく分けており、多数の方向けへの情報発信、

家族単位での繋がりを使い分けている人でしょう。

そうした事が出来る人は今までのSNSでもトラブルを起こさず、

しっかりと区別できる人だったのでしょう。

こうした人ばかりだとSNSも進化もまた違っていた形になっていたのかもしれませんね。